5. コロナ禍の臨終

その日いつもより早く目が覚めました。4時台。

いつもなら6時に一度目覚ましを止めて二度寝する私も、さすがにこの日ばかりは、1分でも早く行かねばと思い、飛行機の時間を調べて予約し、5時前の電車に乗り、6時20分に上司に休みをもらい、7時半の始発(001便が欠航のため003便)の飛行機に乗りました。新幹線はキャンセルしましたが、緊急事態宣言対応なのかキャンセルはかかりませんでした。

早起きの甲斐も虚しく、着地の電車内で母から、10時20分息を引き取ったという連絡がありました。最期の朝は病室に入れたそうです。対面したときはまだ温かく、寝てるだけのようにも見えました。死亡診断は私が病室に着いた後でした。

慌ただしい日々が始まります。この後の段取りはもう決まっているようです。父は病室から霊安室へ移され、そこから葬儀屋の車で葬儀場に移動しました。病院の子会社が葬儀屋への取次を独占しているようで、互助会に入っているか、決まっている葬儀屋があるか尋ねます。この病院子会社みたいに決まった所が取次しないと、霊安室前で営業合戦になるのでしょうか?

車で10分くらいの所にホテルを葬儀場に改装した施設があり、父母は生前そこがいいねと話していたそうです。元がホテルなので客室もたくさんあって、親戚が来ても泊まる場所に不便しないという訳。緊急事態宣言中で誰も来られませんでしたが・・・。

親戚がホテルで結婚式をしたとき、そのホテルに泊まると便利でしたが、高齢化社会で葬儀場に泊まる時代なのですね。実家でテレビを付けていると葬儀屋の CM が結構流れてました。

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